いやいやいやいやデカルトさん、

買取した本の中に「倫理資料」という本がありました。

 

本に関しては買取後も、本への書き込みの程度を再度チェックします。

その為、パラパラっとめくりながらチェックしていると、

 

 

デカルトが目にとまり、

こう書いてありました。

 

 

「われ思う、ゆえにわれあり。」

(まぁ、「ゆえに」の接続詞については置いといて)

 

 

僕は、

 

「懐かしいなー」

 

などと思いながら、

 

目にとまったこのページで思い出した事がありました。

 

 

そうそう、

このデカルトの言葉を聞いたマルクスは、

 

「我思う、ゆえに我あり?」

 

 

「いやいや、これは違う」と、

 

 

マルクスは、デカルトのこの言葉を訂正したというのを本で読んだ事があるなぁ、

という事を思い出したのです。

 

 

マルクスは、こう言いました。

 

 

『思う』から『ある』のではなく、

『ある』から『思う』んだよ。

 

 

だからデカルトの言う、

「我思う、ゆえに我あり」ではなくて、

 

「我あり、ゆえに我思う」なんだよ、と、、、。

 

 

 

 

まぁどういう事なのかと、簡単に説明をかねて皆様に質問致します。

 

はい質問!

 

「ニワトリの卵はどれくらいの大きさですか?」

 

 

 

 

 

 

 

・・・・・。

 

 

 

簡単ですよね。

 

だいたい7~8cmで、

親指と人差し指を曲げて、大きさを「これくらい」と表現出来ますよね。

 

 

ですから、『思う』よりも『ある』が先なんだよ、とマルクスは言いました。

 

 

理由は、

バスケットボールくらいの大きさのニワトリの卵や、

 

米粒ほどのニワトリの卵は存在しないからです。

 

 

『思う』ことは『ある』ことを知覚して思いませんか?

ですから『ある』は『思う』よりも先なんです。とマルクスは言いました。

 

 

 

これがもしですよ、デカルトの言うように、

『思う』が『ある』よりも先だとすれば、

皆さんの答えはぜんぜん違うバラバラなものになるでしょう。

 

 

 

例えば、

偶然に家の裏庭を掘ったら昔の小判が出てきた。

しかし、今まで裏庭に小判があるとは思ってもいなかった。

裏庭を掘って偶然にも見つけることが出来たから『ある』(存在する)のであって、

もし掘らなかったら『ない』のではないか。

 

 

 

自分が小判を見つけて『ある』と考えるから、小判は『ある』のだ。

と、言うデカルトに対して、

 

 

 

マルクスは、

目を軽く閉じ、顔を横に何度も振りながらこう言うでしょう、

 

 

「いやいやいやいやいやいや、デカルトさん、あなたが『ある』と思おうが『ない』と思おうが、

『あるものはある』。

 

あなたはただただ、知らなかっただけや。

 

実在する物は『思う』ことによって、いささかも変えることはできない。

真実は一つなのですよ。あるものはあるのですよ。

 

 

『ある』物は、観念から独立して観念に依存しないでそれ自体で成り立っているのですよ。

 

 

小判が『ある』いうのは事実であり、『ない』と考えるのは『ある』という事実についてのあなたの観念にすぎないのだ。」と、

 

 

 

噛み砕いて言いますと、

「小判は確かにある。けど、私は知らなかったから小判はないと考える。」

 

『ある』という事実について、個人的な感想を述べているだけなのです。

 

 

 

別の話でいいますと、

かなり昔に聴いたラジオ『武田鉄矢の今朝の三枚おろし』で武田鉄矢さんがデカルトの考え方と同じような事を言っていた回がありました。

もう20年くらい前に聴いたラジオの話です。

 

まず武田鉄矢さんは冒頭で、

「人によって事実は変わるものだ」と言っていました。

 

そして続けてこう言いました。

 

 

むかーし、小学生だった鉄矢少年がクラスの女子とこういう会話になったそうです。

 

女子:「武田君のツメはいつも砂が入って黒くなって汚れている。きたなかー」

 

鉄矢:「そんなこと言うなら、○○君のツメも黒くなっているよ」

 

女子:「○○君はカッコエエから、清潔なんだよ。黒い爪でも汚くないとよ」

 

 

こういう具合に、同じ黒くなった爪でも、

鉄矢少年と、クラスのカッコイイ男子では答えが違うんだ。

と、事実は人によって変わるものだと武田鉄矢さんは言っていました。

 

そうそう確かにデカルトの考えから言うと武田鉄矢さんの言う通り、答えはバラバラなものになりますが、

 

 

マルクスの考えだと、

「いやいやいやいやいや、鉄矢さん、(何故かマルクスの時だけセリフ口調の書き出し(汗))

カッコイイ男子の黒い爪が汚くないと女子が思うのは、『黒い爪が清潔ではない』という事実についての女子の観念なだけです」

 

 

 

他にもう一つ、僕自身もっともっと好きな例え話があるのですが、

それを書くことは今回やめておきます。ちなみにその話僕はめちゃくちゃ好きな例え話なのですが。

 

僕はどちらの意見がどうのこうのと言いたい訳ではなく、

 

ただ単に僕自身が高校生の頃にこの言葉に出会って、当時は興味があったのでしょう、こんな話の本を読むのが好きだっただけでございます。

 

仕事中に本の書き込みチェックをしながら少し思い出した事のお話しでした。